
畠山重忠古戦場史跡|横浜市旭区・鶴ケ峰に残る鎌倉時代の歴史を訪ねる
畠山重忠古戦場史跡|横浜市旭区・鶴ケ峰に残る鎌倉時代の歴史を訪ねる
横浜市旭区の鶴ケ峰周辺には、鎌倉時代に活躍した武将「畠山重忠」にまつわる史跡が数多く残されています。
現在の鶴ケ峰は、相鉄線の駅を中心に住宅街や商店街が広がる街ですが、今から800年以上前、この周辺では鎌倉幕府の歴史にも関わる「二俣川の合戦」が起こりました。
その戦いで最期を迎えたのが、源頼朝から厚い信頼を得ていた武将・畠山重忠です。
今回は、鶴ケ峰周辺に残る畠山重忠公碑・首塚・六ツ塚などを中心に、畠山重忠と旭区の歴史をご紹介します。
畠山重忠とは?

畠山重忠は1164年に生まれ、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武将です。
現在の埼玉県深谷市畠山付近に生まれたとされ、鎌倉幕府を開いた源頼朝に仕えました。
源平合戦では源義経とともに一ノ谷や屋島などで戦い、その後の奥州征伐でも活躍したと伝えられています。
畠山重忠は知略や武勇だけでなく、人柄にも優れていたとされ、後世には「坂東武士の鑑」とも称される人物です。
しかし、源頼朝の死後、鎌倉幕府内部では権力争いが激しくなっていきます。
重忠もその争いに巻き込まれ、最終的に鎌倉へ向かう途中、現在の横浜市旭区鶴ケ峰付近で討ち死にすることになります。
鶴ケ峰で起きた「二俣川の合戦」

畠山重忠が最期を迎えた戦いは、「二俣川の合戦」または「二俣川の戦い」と呼ばれています。
元久2年(1205年)、鎌倉へ向かっていた重忠は、現在の旭区鶴ケ峰周辺で北条方の軍勢と戦うことになりました。
現在は住宅や道路が広がり、当時の戦場をそのまま見ることはできません。
しかし鶴ケ峰周辺には、この戦いにまつわる地名や史跡、伝承が現在も数多く残っています。
約800年前に起きた戦いの舞台が、現在の鶴ケ峰の住宅街周辺だったと考えると、普段何気なく歩いている街も少し違って見えてきます。
畠山重忠公碑

鶴ケ峰周辺を代表する史跡のひとつが「畠山重忠公碑」です。
畠山重忠の没後750年を記念し、1955年(昭和30年)6月、鶴ケ峰と重忠の故郷である埼玉県深谷市畠山の有志によって建立されました。
碑は、水道道が厚木街道を横断する交差点付近の見晴らしのよい場所に建っています。
現在の街並みだけを見ると、この場所で800年以上前に大きな戦いがあったとは想像しにくいかもしれません。
しかし碑を訪れると、この一帯が重忠終焉の地として長い間大切にされてきたことが感じられます。
「さかさ矢竹」に残る重忠の伝説
畠山重忠公碑付近には、「さかさ矢竹」と呼ばれる伝承も残されています。
重忠が矢に当たった際、自分の心が正しいのであれば、この矢から枝葉が生じ繁茂するようにという趣旨の言葉を残し、2本の矢を地面に突き立てたところ、その矢が根付いて竹になったと伝えられています。
かつては旭区役所北東側の土手一帯に茂っていたそうですが、その後消滅し、現在の場所に改めて植えられています。
これは史実として確認された出来事ではなく、地域に伝わる伝承です。ただ、800年以上にわたって重忠の人物像が地域で語り継がれてきたことを感じさせる場所でもあります。
旭区役所近くに残る「首塚」

旭区役所の近くには、「首塚」と呼ばれる史跡があります。
ここは、二俣川の合戦で討たれた畠山重忠の首が祭られた場所と伝えられています。
旭区役所の裏側にある少し高くなった場所に位置し、「首塚」と書かれた標柱が目印となっています。
かつて付近には、重忠の首を洗い清めたと伝わる「首洗い井戸」もあったそうですが、現在は残っていません。
現代の旭区役所のすぐ近くに鎌倉時代の武将にまつわる史跡が残っているというのも、鶴ケ峰ならではの特徴です。
薬王寺に残る「六ツ塚」
鶴ケ峰周辺を散策するなら、薬王寺にある「六ツ塚」も見ておきたい史跡です。
六ツ塚は、畠山重忠をはじめ、一族郎党134騎を埋葬したと伝えられている場所です。
薬王寺の境内には6つの塚が残り、重忠をしのぶ場所として現在まで伝えられています。
また、薬王寺では現在も重忠の命日である6月22日に慰霊祭が行われています。
800年以上前に亡くなった人物が、現在も地域で供養され続けていることからも、畠山重忠と旭区との深いつながりが分かります。
「矢畑」「越し巻き」など合戦に由来する伝承も
鶴ケ峰周辺には、二俣川の合戦を伝える地名や伝承も残されています。
矢畑
そのひとつが「矢畑」です。
北条方から放たれた矢が一面に突き刺さり、まるで「矢の畑」のように見えたことから、この名前が付いたと伝えられています。
越し巻き
また「越し巻き」については、重忠が敵軍に取り囲まれた場所という説や、放たれた矢が腰巻きのように周囲を取り囲んだことに由来するという説があります。
こうした地名の由来を知ってから街を歩いてみると、普段の住宅街も少し違った景色に見えてきます。
「鎧の渡し」にも鎌倉時代の面影
現在、帷子川の跡地を利用したプロムナードとして整備されている「鎧の渡し緑道」にも、鎌倉時代の伝承があります。
かつて武士たちが川を渡る際、鎧を頭の上に掲げながら渡ったことから「鎧の渡し」と呼ばれるようになったとされています。
現在は気軽に歩ける緑道ですが、こうした由来を知ると、鶴ケ峰周辺が昔から道や川と深く関わってきた地域だったことが分かります。
二俣川には「畠山重忠公遺烈碑」も
畠山重忠にまつわる史跡は、鶴ケ峰だけではありません。
二俣川・万騎が原方面には「畠山重忠公遺烈碑」があります。
この碑は1892年(明治25年)、有志57人によって建立されました。
また、この一帯はかつて「牧が原」と呼ばれていましたが、二俣川の合戦の際に北条方の大軍が陣を構えたことから「万騎が原」と呼ばれるようになったという伝承も残されています。
現在、相鉄線の駅名にもなっている「南万騎が原」という地名にも、この地域の歴史とのつながりを感じることができます。
鶴ケ峰周辺は史跡を歩いて巡れる街

畠山重忠にまつわる史跡は、ひとつの大きな史跡公園にまとまっているわけではありません。
畠山重忠公碑や首塚、六ツ塚、鎧の渡し緑道などが鶴ケ峰周辺に点在しています。
- 畠山重忠公碑
- さかさ矢竹
- 首塚
- 薬王寺・六ツ塚
- 矢畑
- 越し巻き
- 鎧の渡し緑道
- 畠山重忠公遺烈碑
そのため、ひとつずつ史跡を巡りながら街を散策するのがおすすめです。
横浜市旭区では散策ガイド「新・あさひ散歩」を公開しており、「重忠公ゆかりの地を訪ねて」という鶴ケ峰周辺の散策コースも紹介されています。
歴史が好きな方なら、史跡を探しながら歩くだけでも楽しめるエリアです。
800年以上の歴史が残る鶴ケ峰
現在の鶴ケ峰は、相鉄本線の駅を中心に商店街や住宅街が広がる生活の街です。
一方で少し歩いてみると、畠山重忠公碑・首塚・六ツ塚など、鎌倉時代につながる史跡が現在も残されています。
旭区では、畠山重忠公史跡群が「未来に残したい旭区50景」の第1景にも選ばれています。
駅からの距離や買い物環境、公園、学校などは家探しをするときに気になるポイントですが、その街がどのような歴史を歩んできたのかを知るのも、街を知る楽しみのひとつです。
鶴ケ峰を訪れた際には、いつもの街並みを少し違った目線で眺めながら、畠山重忠ゆかりの史跡を巡ってみてはいかがでしょうか。
参考:横浜市旭区「畠山重忠」「重忠公ゆかりの史跡」等
